1980-04-24 第91回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第12号
○中田説明員 御質問が大体四つあったかと思います。 初めに、研究テーマが変わったかという御質問に対しまして、従来やっておりました研究、五十一年度の御質問のときにお答えしました当時持っておりましたテーマが大体そのまま引き続いてきて、五十三年度、五十四年度とだんだんに終わってきまして、新しいテーマを立てております。大体五十一年度の当時は、一体型舶用炉、つまり「むつ」の次に出現するであろうと思われる舶用炉
○中田説明員 御質問が大体四つあったかと思います。 初めに、研究テーマが変わったかという御質問に対しまして、従来やっておりました研究、五十一年度の御質問のときにお答えしました当時持っておりましたテーマが大体そのまま引き続いてきて、五十三年度、五十四年度とだんだんに終わってきまして、新しいテーマを立てております。大体五十一年度の当時は、一体型舶用炉、つまり「むつ」の次に出現するであろうと思われる舶用炉
○中田説明員 これは船舶技研のみならず各会社の技術者、それから原子力研究所の研究員、みんな志して、それぞれのアイデアを生かして研究を進めてきましたが、船舶技研では相当程度複雑な遮蔽体の計算ができる計算コードを開発しました。これは米国などの外国とは別個の計算方式でございます。
○中田説明員 お答えいたします。 研究者の立場から二つの主流がございまして、当時原子力船の試設計をしている折に、遮蔽の計算コードが細かいところまで計算できないのだということを承知しまして、遮蔽計算コードの開発と、詳細な点まで将来予測できるように計算コードを開発せねばならない、こういう見通しでやったものと、それからもう一つは、細かい点ができないにもかかわらず原子炉をつくっていくならば、その計算できない